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2009年07月10日

川喜田二郎さん死去:合掌! お世話になりました

学者と言うよりも、「探検家」として、私には関係が深いので
心より、ご冥福をお祈りいたします。

初めてネパールに行った時、川喜多さんが作った「水道施設」や
植林事業」を見て、私もNGOに参加しました。

その後、何度と無くネパールを訪れて、私なりに現地の生活向上に
貢献したつもりではあるが、川喜多さんには「足元にも及ばなかった」。

「KJ法」創始者、文化人類学者の川喜田二郎さん死去
2009年7月9日18時22分

 文化人類学者で、カードを使った独自の発想法、KJ法の創始者として知られる川喜田二郎(かわきた・じろう)さんが8日、敗血症のため東京都内の病院で死去した。89歳だった。葬儀は近親者で営み、後日お別れの会を開く予定。喪主は妻喜美子さん。

 京大文学部卒。東京工大教授、筑波大教授、中部大教授などを務めた。旧三高、京大時代に故今西錦司氏らのもと探検調査活動に明け暮れた経験を生かし、50年代以降、ネパールの学術調査など数多くの業績を上げた。その体験の中から、ベストセラーとなった著書、「鳥葬の国」「ネパール王国探検記」などが生まれる。

 KJ法も野外調査でのカードによる情報整理の手法がヒントだった。一つのデータを1枚のカードに記し、多くのカードから共通点や違いを見つける。多彩な考えを一つの発想にまでまとめ上げていく系統的方法として完成させ、70年代以降、多くの企業や自治体、大学で広く活用された。ネパールの山村の生活改善運動に尽くした功績で84年にはマグサイサイ賞も受ける。文明論、組織論など数多くの著作は「川喜田二郎著作集」(全13巻、別巻)に収められている。


今西錦司氏と共に、尊敬する人であった。
KJ法」は、今の職場でも使っており、非常に有効な手段で
ずいぶん助けられてもいる。


私は「山岳環境保護団体」で、十数年間活動をしていた時、
ネパールのある村で「ゴミの焼却炉」を作りました。
その後、その隣村に「リンゴ園」を作り、現在では毎年収穫
出来るようになっている。

村の現金収入の足しに少しは役に立っているだろうか。


このプロジェクトの途中、何度と無く川喜多氏のプロジェクト
視察に行かせて貰った。
途中の村でのランチタイムで、現地の人たちとの素朴な会話が
こよなく好きである。

生活が貧しい為に「環境破壊」を、せざるを得ない生活状況に
心を痛めながらも、環境保護の大切さを訴え、それが自分たちの
利益になることを訴えた日々が懐かしい。

だがある日、我が日本を省みて愕然とし、上から目線で見ていた
自分を反省して、今度は国内に傾注しだした。

しかし、この国の病は根深く、ネパールどころではない。
環境破壊どころか「精神破壊」を起しているように見えるのだ。

私は、川喜多氏の思想に「緑の保守」を見た。

そして今、私自身が「緑の保守を名乗り、活動を始めている。


この訃報に、気落ちしながらも、先人たちの遺産をなんとか
復活させたいと、微力ながら再び、動き出した昨今である。


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川喜田二郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

川喜田 二郎(かわきた じろう、1920年(大正9年) - 2009年(平成21年)7月8日)は、三重県出身の地理学者、文化人類学者。京都帝国大学文学部地理学科卒業。文学士。東京工業大学教授を経て川喜田研究所代表、筑波大学教授、中部大学教授、東京工業大学名誉教授。元日本ネパール協会会長


人物 [編集]
中学生のころより、先輩の今西錦司と山歩きに没頭。京都帝大時代は山岳部に入部し、今西錦司、梅棹忠夫らと共に探検隊を結成しカロリン諸島や大興安嶺山脈を探検。大阪市立大学の助教授時代からはネパールを研究フィールドとするようになった。

豊富な野外調査の経験を元に、情報整理と発想のための手法としてKJ法を開発。ブレインストーミング後の整理法として、野外科学のみならず企業などでも広く応用され、著書『発想法 創造性開発のために』(中公新書)は評判を呼んだ。

1953年(昭和28年)にマナスル登山隊へ参加。有名シャンソン歌手イベット・ジローの名をもじって、「チベット二郎」の異名を持つほどの、チベット文化の理解者である。1963年(昭和38年)と1964年(昭和39年)の民族学調査をきっかけに、アンナプルナ山のふもとの山村の活性化と環境保全のため、NGO「ヒマラヤ保全協会」を結成した。中華人民共和国のチベット侵略に際し、抗議の論陣を張り、頑として訪中しない方針を貫いた。

2009年(平成21年)7月8日、敗血症により満89歳で死去。
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posted by 緑の保守派 風のヤマオヤジ at 19:22 | 長野 雨 | Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題
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